ー 自分の信念を貫く強さは、幼少期の原体験から来ているのでしょうか?
根底にあるのは、幼少期に抱いた「強烈な反発心」です。私は神奈川の、少し保守的な価値観を持つ家庭で育ちました。特に祖父母からは「女の子なんだから、将来は良いお嫁さんになりなさい」「職業婦人なんて目指すな。花嫁修業として家政学校で縫い物を学べばいい」と、顔を合わせるたびに言われていたんです。
それが、幼い私にはどうしても許せなかった。「誰かの添え物」として生きることを強要される世界から逃げ出すには、圧倒的な結果を出して認めさせるしかない。そう思って、学校代表を積極的に引き受けたり、猛烈に勉強したり。『自分の人生は自分で決めるんだ』という私の原点は、ここから始まっていると思います。
ー 中高時代も、そのエネルギーを何かにぶつけていたのですか?
横浜の女子進学校に入りましたが、そこは演劇やミュージカルが盛んな、まるで宝塚のような世界でした。私はそこでミュージカルに没頭し、ステージ上で「表現する喜び」と「チームで一つの世界を作り上げる快感」を知りました。今の温泉プロデュースも、ある意味では一つの大きな「舞台」を作っている感覚に近いかもしれません。
ー その後、テレビ業界という「表現」の頂点のような世界へ進まれますね。
大学時代に「メディアミックス」という概念に衝撃を受けたんです。一つのアニメが、グッズになり、ゲームになり、子供たちの文化そのものを作っていく。その源流である番組制作をやりたくて、マスコミ業界に飛び込みました。
20代はまさに激動でした。『おはスタ』でのアイドルプロデュースや、『ポケモン』という巨大IPに関わり、映画のスポンサー営業やイベントの旗振り役として、億単位の予算を動かしました。スポンサー、制作現場、放送局……それぞれが異なる利害を持つ中で、どうやって一つの正解を導き出すか。その「調整能力」と「俯瞰して価値を作る力」を、現場で徹底的に叩き込まれました。
ー 順風満帆に見えますが、なぜ30歳を前にしてそのキャリアを離れたのですか?
大きな組織にいる以上、異動は避けられません。自分がどれだけ現場を愛していても、会社は「宣伝担当へ」と辞令一枚で私の居場所を変えてしまう。その時、ふと足元が冷たくなる感覚があったんです。
「もし明日、この会社の看板がなくなったら、私という生身の人間には何が残るんだろう?」
私はテレビ局の「名刺」で仕事をしていたのか、それとも「栗山友理」として仕事をしていたのか。それを確かめるために、私はあえて裸一貫になれる場所を選びました。
ー そこから10年間、吉祥寺でバーテンダーをされていたというのは驚きです。
主人が経営していたバーを一つ任される形で、店長を始めました。テレビ局時代の知人からは「ブランクになるよ」「もったいない」と散々言われました。でも、私にとっては一番クリエイティブな時間だったんです。
名刺もない。肩書きもない。ただカウンター越しにお客様と向き合う。そこでは、私が面白い人間でなければ、誰も二度と来てくれません。
10年間で、私は「人間関係の真実」を見ました。会社員時代の利害関係ではない、損得抜きのネットワーク。この時、お互いに酔っ払いながら夢を語り合った仲間たちが、数年後に私が温泉を再建するとなった時、出資をしてくれたり、様々な面で協力をしてくれたりする最高のサポーターになってくれたんです。目に見えない信頼を見える化できるというWeb3の思想を、私はカウンターの中で学んでいたのだと思います。
ー その後、長野へ移住されます。都会でのキャリアを捨てて、山の中へ向かった理由は?
きっかけはコロナ禍と双子の出産でした。東京での孤立した育児に限界を感じ、長野でしばらく子育てをさせてもらうことにしたんです。そこで、人生を変える体験をしました。
冬の長野は、マイナス15度にもなる過酷な環境です。赤ん坊を二人抱えていた私を癒してくれたのが、地元の温泉「すずらんの湯」であり、そこにいたおじいちゃんやおばあちゃんたちでした。
彼女らは私の顔を見るなり、「大変だね。一人抱っこしておいてあげるから、ゆっくり洗ってきなさい」と、当たり前のように手を差し伸べてくれた。東京ではお金を払って「サービス」として受けていたことが、ここでは「生活の助け合い」として機能していたんです。
しかし、通い続けるうちに、その大切な居場所が危機的な状態にあることを知りました。施設は老朽化し、多額の赤字を抱え、いつ閉鎖されてもおかしくない状況に追い込まれていたんです。さらに、私を助けてくれたあのおじいちゃんやおばあちゃんたちも、一人、また一人と姿を見せなくなっていきました。
「このままでは、子供たちが大きくなる頃には、この場所も、この温かな文化もすべて消えてしまう」
その切実な現実に直面した時、私の中で「この光を消してはいけない。テクノロジーはこのためにあるべきだ」と、バラバラだったキャリアの点と線が繋がったんです。
ー 地域の危機を目の当たりにした時、なぜ「自分が再建する」という、ある意味で無謀とも言える決断に至ったのですか?
「誰かがやってくれるのを待つのではなく、私がこの場所を再建する当事者になろう」
そう決意した瞬間、不思議と迷いは消えました。今振り返れば、これまでの私の人生はすべて、この場所を救うための「修行」だったんじゃないかと思えたんです。
テレビプロデューサー時代: バラバラの利害関係者を調整し、一つの大きな物語をプロデュースする力。
バーテンダー時代: 看板に頼らず、一人の人間として対面で信頼を築く力。
コロナ禍での出会い: Web3という、目に見えない貢献を可視化し、循環させる技術。
これらすべてを掛け合わせれば、地域のコミュニティをアップデートできる。もちろん、赤字続きの施設を引き継ぐのは大きな挑戦です。でも、私には「この場所がなくなったら困る」という切実な当事者意識がありました。
地域の縁側を整備し、おじいちゃんやおばあちゃんの「恩」をデジタルの力で次世代に送る仕組みを作る。それが、私がこの地へ移住してきた本当の意味なのだと確信しました。
そこから、私は「すずらんの湯」の再建に向けて、温浴施設の運営経験もないなか、無謀にも動き始めました。
ー いよいよ本格的に運営を引き継ぐ道へ進まれますが、現実は相当厳しかったと伺っています。
平坦どころか、崖っぷちでした(笑)。市から民営化の公募が出た際、私は「自分がやらなければここは廃墟になる」という使命感で手を挙げました。しかし、運営を引き継ぐ直前の検査で、衝撃的な事実が判明したんです。
冬の間、施設が閉鎖されていたせいで、地下の複雑な配管がほぼ全て凍結して破裂していました。修繕費用は、当初の予想を遥かに超える1億円以上。しかも、その施設は年間4,000万円もの赤字を垂れ流していた場所です。
「今ならまだ逃げられるぞ」という声が、何度も頭をよぎりました。でも、地元の皆さんが「温泉が復活するなら、もう一度ここで頑張ってみるよ」と希望を抱き始めていた。その夢を、私の都合で潰すことなんて、どうしてもできなかったんです。
ー その「1億円の壁」という絶望的な状況を、どう乗り越えたのですか?
運命的な出会いがありました。地元の老舗「池の平ホテル」の社長で地域アセットマネジメント会社社長の矢島さんです。彼は私と同い年で、実は「白樺湖を再生したい」という全く同じビジョンを密かに持っていました。私が持参した企画書と、彼が社外秘で持っていた構想が、ほぼ一致していたんです。
彼が大家(オーナー)としてハード面のリスクを背負い、私が運営(ソフト)としてこの場所に命を吹き込む。この「同世代のタッグ」が成立したことで、1億円の壁を乗り越える覚悟が決まりました。一人のよそ者の無謀な挑戦が、地域の有力なパートナーを得て「共同プロジェクト」に変わった瞬間でした。
ー 栗山さんが目指す「民間行政」とは、具体的にどのような仕組みなのでしょうか。
一言で言えば、「税金だけに頼らない、手作りの福祉」です。
人口が減り、公的な予算が削られる中で、行政に「あれをしてくれ」と言うだけでは地域は守れません。民間事業者がしっかり稼ぎ、その収益を地域に再投資し、さらに住民同士の「助け合い」をスコア化して循環させる。
具体的には、ブロックチェーンを活用した独自のポイントシステムを導入しています。例えば、地元の高齢者が子供たちを見守ったり、観光客が朝の薪割りを手伝ったりすると、ポイントが貯まる。そのポイントで、温泉が安く利用できる。
「お金を稼ぐ力」だけでなく、「地域に貢献する力」が可視化され、それによって生活が豊かになる仕組みを構築しています。
ー Web3という難しい言葉を、あえて「温泉」というアナログな場所で使う意図はどこにあるのですか?
Web3は目的ではなく、あくまで「名もなき親切」を記録するための手段なんです。おじいちゃんやおばあちゃんでも使えるように、アプリだけでなく「ピッと当てるだけのカード」も用意しました。
私がバーを経営していた10年間で感じた、あの「看板がない自分を助けてくれた人たちへの恩」。それをデジタルの力で仕組みにしたいんです。仮にSNSでどんなに立派な肩書きを持っていても、地域での貢献スコアが低ければ、そこには本当の信頼はないのかもしれない。
この「すずらんの湯」から、新しい信頼の物差しを作っていく。それが、私がこの人生をかけて挑む、本当の挑戦なんです。
ー すずらんの湯の再建は、ある意味で栗山さんの人生をかけた挑戦です。このプロジェクトが成功した先、その「点」はどのような未来に繋がっていくのでしょうか。
もちろん、ここを一つの「成功事例」で終わらせるつもりはありません。私がここで証明したいのは、**「資本主義の物差しでは測れなかった価値を、テクノロジーで再定義できる」**というモデルの有効性です。
今、日本の至る所で地域コミュニティが崩壊し、行政サービスが維持できなくなっています。これは日本だけの問題ではなく、いずれ先進国全体が直面する課題です。そんな中で、信州の山奥にある小さな温泉が、ブロックチェーンという最先端技術を使い、住民の「優しさ」や「貢献」をガソリンにして自律的に回っている。この事実は、世界中の過疎地に「希望のプロトタイプ(原型)」として提示できるはずなんです。
ー 最後に、栗山さんにとっての「成功」の定義を教えてください。
私の子供たちが大人になった時、この白樺湖に灯りが灯り続け、そこに行けば誰かが助けてくれる場所があること。そして、名刺も肩書きも持たない誰かが、その地域での「貢献」という誇りを胸に、堂々と生きていける社会になっていること。
数字上の売上や規模ではなく、「どれだけ多くの人の居場所を守れたか」。
かつてお風呂で私を救ってくれたあのおじいちゃんたちの「恩」を、仕組みとして次世代へ繋ぐことができたなら、それが私にとっての最高の成功です。