活躍し続ける支援をしたい。
吉本 明加
Yoshimoto Haruka東京都
東京都
経営戦略と人事戦略をつなぎ、採用、育成、配置、評価、組織文化までを一貫して設計します。社外CHROとして経営者と現場の双方に伴走し、人事制度を導入して終わるのではなく、管理職との対話、社員の行動変容、振り返りまで支援。性別や立場にかかわらず、多様な人が意志と強みを発揮し、人と事業がともに成長できる組織をつくります。
企業、学校、地域を対象に、自分の価値観、強み、働く意味、これからの選択肢を考えるプログラムを提供しています。知識を一方的に伝える講義ではなく、対話とワークを通じて、自分自身の言葉で未来を描くことを重視。環境や周囲の期待だけに流されず、納得できる次の行動を自ら選ぶ力を育てます。
自分の価値観や強み、理想のありたい姿、時間の使い方を可視化する、商標登録済みの「タイムノート®」を展開しています。日々の時間の投資・消費・浪費を見つめ直し、理想の未来と現在の行動を統合的にデザイン。個人や組織の対話型プログラムとして導入され、周囲の期待や役割だけに縛られることなく、自分らしい働き方や人生を主体的に構築する力を育てます。
母の故郷である仙台市で生まれた。両親と弟との4人家族は仲が良く、家にはいつも笑いがある温かい家庭だった。父は会社員を経て、のちに経営の道へ進み、母は家族を明るく照らす人だった。両親から「勉強しなさい」などと言われることは全くなく、子どもがやりたいことを尊重し応援してもらえた。
小学生の頃は転校も経験したが、友人にも恵まれた。足が速く、リレーの選手やアンカーを任される一方、注目を集めることは好きではなかった。外からは活発に見えても、実は内弁慶。それでも先生から頼まれると断れず、学級委員や生徒会長を引き受けた。必要とされた場所で役目を果たそうとする責任感の強い子どもだった。
中学受験を経て桜蔭中学校へ進むと、周囲の優秀さに驚き、友人たちの優秀さを素直に認めながら、競わず自分のペースで過ごした。テレビや漫画が好きで、母と一緒にドラマを見たり、漫画を読んで話をしたりする時間も楽しかった。安心して自分で選ばせてもらえたこと、頼られた時には応えようとしてきたこと。その2つは、後に一人ひとりの意志を尊重しながら、組織の中で役割を担う姿勢の土台になった。
高校3年生までは医学部進学を志望していたが、考えるうちに「自分の進みたい道とは違う」と感じるようになった。大学へ行くこと自体にも全くこだわりはなかったものの、先生や友人とも話し、早稲田大学へ進学した。そこで1年生、19歳の時に出産した。
子どもを預け、ときには大学へ連れて行きながら、育児と学業を両立し、4年間で卒業した。温かい家族、とりわけ母の手厚いサポートや「あなたなら大丈夫」という力強い応援があったからこそ、途中で諦めずに走り抜くことができた。大学の友人たちにも恵まれ、子どもがいることを受け入れてもらっていた。若かった分、体力的な大変さを感じることは少なかったが、「学生の母親」「若い母親」というラベルを貼られ、世間の物差しで「卒業できない」「就職できない」「両立できない」などと判断されてしまうことが辛いと思った。
就職活動では、人事担当者から「仕事と育児、両立できないでしょう」と言われたこともある。残念に思い続けるより、「理解してくれない人もいる」と受け止めた。一方で、「あなたならきっとできる」と信じてくれる人事担当者もいた。その言葉に触れた時、こういう人と働き、こういう人の期待に応え、一緒に会社や社会を変えたいと思った。家族や周囲の温かい支えへの感謝とともに、この経験が「人の可能性を属性で決めない」現在の仕事の原点になった。
社会人初期では、移動体通信業界に特化した人事コンサルティング会社で、1日100件以上の企業へ働きかける新規営業を担当した。5人いたチームのうち4人が辞め、最後は1人になってしまったが、辞めようとは思わなかった。新規営業は意外にも自分の個性に合い、行動を積み重ねるほど結果が数字で返ってくることに手応えを感じた。
その後、事業部は解体されたものの、求人媒体での営業実績をきっかけに、転職先が決まった。ソフトバンクへ入社後は人事、役員秘書などを兼務。通信3社の人事として、3,000人規模の採用に関わった。採用数の大きさだけでなく、組織が大きく変わる時に、人事が事業の未来を支える役割を担うことを目の当たりにした。
当時、子どもは小学生。定時の9時から17時45分までを勤務時間と定め、必ず定時で帰らせていただく働き方を続けた。限られた時間で成果を出すため、自分のスケジュールや不在時間を周囲に可視化し、業務の無駄を徹底的に削ぎ落とした。仕事も私生活もどちらかを犠牲にせず、どうすれば両方を大切にしながら幸せでいられるのか。その問いに毎日向き合い、単に早く帰るのではなく、時間の使い方を組み立て、両立させるための「タイムデザイン」を実践。この取り組みは周囲の時間意識や生産性の向上にもつながり、後の「タイムノート®」へと結実していった。
ソフトバンクで秘書を務めていた上司が独立することになり、その会社の立ち上げへ参画した。主な事業は、アジアの優秀な学生を日本企業へ紹介する人材紹介事業。子どもがまだ小学生だったこともあり、海外ではなく国内の人材紹介を立ち上げ、管理部門責任者の役割も担い、必要な仕事を一つずつ形にしていった。
会社そのものをゼロからつくる経験。国内事業だけでなく、北京や上海の法人立ち上げにも関わり、組織が成長し、海外へ広がっていく過程を間近で見た。順調なことばかりではなく、答えのない難題も数多くあり、何度も壁にぶつかり、自分の未熟さを痛感した。そのような中で、経営判断は、組織や事業を前へ進めるために様々な事がつながっていると体で学んだ。
5年ほど働く中で、「女性が活躍できる組織づくりに、もっと正面から取り組みたい」という思いがはっきりしていった。ともに会社を立ち上げた経営者へその意思を伝え、きちんと話し合ったうえで卒業を選んだ。自分が社会へ届けたいテーマに進もうと決めた転機だった。
パルコグループでは、新規事業の責任者とダイバーシティ経営の担当を兼務し、女性活躍推進を中心とする組織づくりへ取り組んだ。当時はまだ「ダイバーシティ」という言葉が今ほど広く知られていない時代。グループ4社を横断し、女性が働き続け、活躍するための施策や働き方改革を進めた。女性に対する研修だけでは、目の前の壁はなくならない。人事制度、上司の関わり、職場の風土まで変えていく必要があると実感した。
現場と一体となった地道な組織改革の取り組みは社外からも評価され、他社からの推薦を受けて、女性活躍を称えるForbes JAPAN主催「JAPAN WOMEN AWARD 2016」で個人部門・「革新」をもたらすリーダーとして表彰していただいた。社会からの客観的な評価として届いたことは大きな励みとなった。同時に、組織の風土は一度の施策では変わらず、経営者、管理職、働く一人ひとりとの対話を積み重ねる重要性を再確認した。
その後、事業を立ち上げるだけでなく、顧客の成功へ責任を持つ経験などを積み、これからは、人と組織の領域で専門性を磨きたいという思いが強くなっていた。
縁に恵まれ、複数の会社で執行役員や取締役を経験し、代表にも就いた。どの事業へ進み、どんな組織をつくるのか。人事だけで解決できる人事課題はほとんどないと感じるようになった。経営戦略と人事戦略を同じ方向へ動かしてこそ、人も事業も成長できる。
人事制度を整えれば、組織が自然に変わるわけではない。変革はまず経営者が自ら変わるところから始まり、管理職や現場へ広がっていく。一方で、経営への貢献を数字や論理で説明するだけでも、人の気持ちは動かない。事業に与える影響を筋道立てて示すことと、一人ひとりの感情へ向き合うこと。その両方を担う存在が必要だと分かり、現在の「社外CHRO」という仕事の輪郭が見えてきた。
必要としてくださる企業へ最高の品質で応えるため、2024年12月にDO株式会社を設立。決して華やかな起業物語ではなく、求められる役割に真摯に応え続けた結果だが、社会に必要な仕事を、自分の意思で選べる現在の形へたどり着いた。
現在の事業には3つの柱がある。1つ目は、企業の社外CHROとして、経営戦略と人事戦略をつなぐこと。経営者と課題を共有し、必要に応じて各分野の専門家とチームを組み、人事戦略の立案だけでなく施策の実行まで徹底的に伴走してやり切る。人的資本経営、採用、育成、組織風土の変革など、表面に見える人事課題の奥にある経営課題を捉え、人と事業がともに前へ進める状態をつくっている。
2つ目は、大学生や専門学校生へ向けたキャリア教育。かつて就職活動で、自分の可能性を信じてくれる人事担当者に出会ったように、次世代を担う人が自身の人生や未来を考える時、良い影響を与えられるような存在でありたいと思っている。
3つ目は、女性のキャリア支援である。個人が自分の意思を持つことと、企業側の仕組みや風土を変えること。そのどちらか一方では、社会は変わらない。だからこそ、組織と個人の両側へ働きかけている。女性向け支援の中心にあるのが、商標登録した「タイムノート®」だ。理想の未来から逆算し、最長30年先までを見渡して、時間と選択を設計する。ただし、誰にでも同じ方法を押しつけることはしない。未来から考えやすい人もいれば、過去の経験をたどることで進む方向が見える人もいるし、環境も違うからだ。自身も出産後、20歳頃から人生年表を書き続けてきた。好きなことだけでなく、自分にできること、社会から必要とされることを重ね合わせ、幸せを感じる時間を少しでも増やしていくこと。明るい未来につながる選択を自らすること、選択したことをやり切るタイムデザインを届けている。
目指しているのは、「女性活躍推進」という言葉を日本のメディアで見かけなくなる社会だ。女性の活躍が進まなくてよいという意味ではない。性別によって特別な課題として語らなくても、誰もが当たり前に力を発揮できる状態にしたいということ。19歳で母になった時、「学生ママ」というラベルだけで就職できない、両立できないと決めつけられてしまった経験は、年月を経てもこの願いの根にある。
社会がまだ追いついていないのなら、自分も社会を変える側へ回ればいい。そうして営業、人事、ダイバーシティ推進、経営と歩みを進めてきた。女性だけに努力を求めるのでも、人事制度や福利厚生だけを増やすのでもなく、経営と現場、論理と感情、組織と個人をつなぐことが道だと信じている。
性別だけでなく、国籍や年齢、家庭環境などの属性によって、その人の可能性が先に決めつけられてしまうことのない社会へ。一人ひとりが自分にとっての幸せを描き、必要とされる場所で力を発揮し、自分の意思で人生を選べるようにしたい。かつて「あなたならきっとできる」と言ってくれた人から受け取った温かい光を、今度は学生へ、働く女性へ、企業へ渡していく。人と組織の選択肢を増やしながら、明るい未来をつくっていく。
大学在学中に出産し、学業、育児、仕事を同時に組み立てた経験です。時間と環境の制約があっても、家族の支え、仕組み構築や理解、周囲との対話によって選択肢はつくれると実感しました。
経営の意志と現場の声をつなぎ、形にすることを大切にしています。個人が自分の価値観を理解し、組織も個人を生かせる状態を共につくることです。
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