Profile
​水辺の事故から
いのちを守るために
NPO法人AQUAkids safety project

すがわら えみ

Sugawara Emi

教育 / セミナー講師 / 子どもの水難事故予防/安全教育/救命啓発

大阪府

MESSAGE 私の想い
子どもの水難事故は、ほんの一瞬に起こります。けれど、その一瞬の前に知っていれば変えられる行動があります。NPO法人AQUAkids safety projectでは、親子が怖がるためではなく、安全に水辺を楽しむための知識を、分かりやすい言葉と表現で届けています。 幼い頃は重いぜんそくがあり、水泳は身体を強くするために始めました。泳ぐ喜びを知り、障害のある方の水泳支援にも関わった経験が、命と水の関係を考える土台になっています。母になり、水難事故の報道に触れたことから、身近な人と学び合える場をつくろうと活動を始めました。 #サンダルバイバイは、流されたサンダルを追わないというシンプルな合言葉です。歌、アニメーション、教材、講座へと広がり、家庭、学校、地域をつなぐ活動になりました。知識を持つ大人と子どもを増やし、悲しい事故を一つでも減らすため、伝え方を工夫し続けています。
ACTIVITIES 活動内容について

親子向け水難事故予防教育

海や川、プールなどの水辺で起こりやすい危険、ライフジャケットの役割、事故を見つけた時の助けの呼び方を、子どもにも理解できる言葉と体験で伝えています。一度聞いて終わる知識ではなく、家庭で親子が繰り返し確認し、実際の行動へつなげられる教材と学びの機会を提供しています。

#サンダルバイバイ啓発

水に流されたサンダルや持ち物を追いかけないという、命を守る合言葉「#サンダルバイバイ」を全国へ発信しています。歌、アニメーション、SNS、絵本や教材など、子どもが親しみやすい表現を通して、危険な場面で思い出せる知識へ変換。家庭や学校で自然に安全について話し合えるきっかけをつくっています。

救命教育と学校・地域・企業との連携

事故に居合わせた人が落ち着いて動けるよう、通報、見守り、救命の基礎を具体的な場面から学ぶバイスタンダー教育を行っています。教育機関、自治体、企業、メディアと連携し、対象年齢や地域の環境に合う講座・教材・啓発企画を設計。水辺の安全を季節的な注意ではなく、地域全体で学び続ける文化へ育てます。

MY STORY 私の物語
PHASE1 幼少期 ― 病棟が最初の記憶、水の中で知った自由

新潟の自然豊かな町で、父、母、5歳上の姉と暮らす4人家族の次女として生まれた。けれど、幼い頃の最初の記憶は、家や遊び場ではなく病院の病棟だった。重いぜんそくで入退院を繰り返し、休みがあまりに多いため、通っていた園を一度辞めたこともあったという。周りの子どもたちが元気に走り回る時期に、私にとっては「静かにしていなさい」と言われることが日常だった。

3歳頃、同じくぜんそくのため水泳を習っていた姉の姿を見て、私もスイミングスクールへ通い始めた。不思議なことに、私の場合、水の中では発作が出なかった。陸上では走ることを止められても、プールでは身体を思いきり動かせる。水の中だけは、病気を気にせず自由でいられる場所だった。水泳を続けるうちに体力がつき、症状も少しずつ落ち着いていった。

小学校へ上がり、ようやく毎日学校へ通い、友達と一緒に遊べるようになった時の解放感は大きかった。幼い頃にできなかった時間を取り戻すように、上手かどうかよりも、身体を動かせることそのものがうれしかった。一方で、泳ぐことはいつの間にか特別な努力ではなく、自分の一部になっていた。水は、命を脅かす怖さを持つこともある。それでも私にとって最初の水は、閉じていた世界を開き、生きる喜びを教えてくれた存在だった。

PHASE2 小学生時代 ― 選手ではなく、水の楽しさを伝えるコーチになりたい

小学校へ入る頃には4泳法を身につけ、選手コースで大会にも出ていた。成績は悪くなかったが、周囲のようにオリンピック選手を目指したいとは思わなかった。小柄な自分が競技の世界でどこまで進めるかを、子どもなりに冷静に見ていたのだと思う。それよりも目を向けていたのは、スイミングスクールの壁に並ぶコーチたちの写真だった。「早く大人になって、ここに自分の顔を載せたい」と考えていた。

憧れたのは、速く泳ぐ人ではなく、泳ぐ楽しさを誰かに伝える人だった。自分自身、水によって身体と心の自由を取り戻したからこそ、「こんなに楽しいことを、もっと多くの人に知ってほしい」という思いが強かった。できなかったことができるようになる瞬間をそばで見守り、一緒に喜ぶ。小学生の頃にはすでに、水泳インストラクターになることを将来の夢として、はっきり思い描いていた。

今振り返ると、この時から関心は「自分が勝つこと」より「相手に届くこと」へ向いていた。水泳の技術を競うだけでなく、楽しさや安全をどう伝えれば、相手が一歩を踏み出せるのか。現在の講師活動と同じ問いを、言葉にはできなくても抱えていたのだと思う。水に助けられた一人の子どもが、いつか水と安全に向き合う人を増やしたいと願った。今の活動へ続く最初の種は、この頃に芽生えていた。

PHASE3 中学・高校時代 ― 水泳を離れ、音楽と支える役割に出会う

地元の中学校へ進むと、校内にプールがなかった。水泳を続けられる別の学校へ行くか、本気で悩んだ。それでも競泳選手になるつもりはなく、仲の良い友達と過ごしながら、別の世界も知ってみたいと考えた。選手としての水泳からは3年間離れ、週に1度、大人向けのコースで泳ぐことだけを細く続けた。完全に手放すことはできなかったが、距離を置いたからこそ、水泳以外にも心を動かされるものがあると知った。

中学では吹奏楽部に入り、打楽器を担当した。強いチームで練習は厳しく、重い楽器を運び、誰より早く準備し、演奏全体のリズムを後ろから支えた。打楽器が少しずれれば、全員の音が崩れてしまう。目立つ旋律を奏でなくても、土台を守る人がいなければ音楽は成立しない。仲間と3年間をかけて一つの演奏を完成させる喜びと、支える役割の責任を学んだ。

高校では軽音楽部でドラムを続けた。ドラマーが少なかったため、複数のバンドから声をかけられ、ライブでは演奏しては次のバンドへ移るサポートメンバーのような存在になった。自分のバンドを持たなくても、必要とされる場所へ入り、相手の音を聴きながら全体を整えることが楽しかった。後に多様な専門家と一緒に啓発コンテンツをつくる時、この経験が生きる。自分一人の作品ではなく、誰かの力をつなぎ、社会へ届く形にすることへ喜びを感じる原点になった。

PHASE4 進路・大学時代 ― 叶わなかった専門学校、遠回りが表現力を育てる

高校卒業後は、地元のスポーツ専門学校へ進み、水泳インストラクターになるつもりだった。小学生の頃から変わらない夢で、手紙を書き、何度も思いを伝えた。それでも教育熱心だった母から、4年制大学へ進んでほしいと強く反対された。どうして自分の人生なのに、行きたい道を選べないのか。悔しくて、何度説得しても許してもらえず、進路を見失った。

そんな私に、社会人になった姉が「大学も悪くないよ。インストラクターは卒業してからでもできる」と話してくれた。その言葉が、不思議なほど心に落ちた。そこで母と「4年制大学なら全国どこを選んでもいい」と約束し、せっかくなら自分が本当に面白いと思える場所へ行こうと決めた。作文が得意だったことから、大阪芸術大学の文芸学科を選び、新潟を離れた。夢をあきらめたのではなく、いったん横に置いて、新しい世界へ踏み出した。

芸大では、文章、編集、コピーなど、情報を生み出し、伝わる形へ磨く方法を学んだ。キャンパスには絵を描く人、演じる人、音楽をつくる人が集まり、「普通であること」より、誰とも違うことが価値として認められていた。それまでの100点を目指す基準が崩れ、オンリーワンを生み出すために、外から吸収し、自分の中で組み替え、表現する力が育った。遠回りに思えた進学は、後に命を守る言葉を生み出すために欠かせない4年間となった。

PHASE5 大学から会社員時代 ― 水の中で言葉を超え、伝える力を磨く

大学へ通いながら、障害のある子どもたちへ水泳を教えるボランティアを始めた。発語のない子どもとも、水の中で目と目が合えば、言葉を超えて気持ちが伝わることがあった。私の体調が優れない日に、そっと近づいて抱きしめ、ずっと頭をなでてくれた子もいた。「障害のある子」と一括りにするのではなく、一人ひとりに豊かな感性と、その人にしかない魅力があることを教えてもらった。

目指したのは、障害のある人だけの場所をつくることではなく、誰もが同じプールで、必要な配慮を受けながら楽しめることだった。卒業後もこの活動に関わりたいと思ったが、すぐに職員として働くことはできなかった。まずは社会で経験を積もうと情報サービス企業へ入り、雑誌の編集と営業を担当した。文章をつくることは好きだった一方、営業では思うように成果を出せず、苦しさも味わった。それでも、相手の話を聞き、価値を言葉にして届ける基礎はここで身についた。

退職後、もう一度ボランティア団体へ「ここで働きたい」と願い出た。今度は、自分の給与に充てられる助成金を自ら探し、申請書を書き、採択を得て事務局へ入った。教えるだけでなく、資金をつくり、企画し、運営し、発信する。約5年間、現場と事務局の両方を経験したことで、思いだけでは活動を続けられないこと、必要な仕組みを自分でつくる大切さを学んだ。水泳、文章、営業という別々の経験が、少しずつ一つにつながり始めていた。

PHASE6 結婚・出産後 ― 「親は知らない」という気づきから、活動を始める

結婚と出産を機に団体を離れ、専業主婦として子育てに向き合った。忙しい日々の中、毎年夏になると、同じような水難事故で子どもが亡くなるニュースが流れた。水泳や水上安全を学んできた私は、テレビの前で「どうして親は防げなかったのだろう」と憤っていた。けれど、何年そう思っていても、事故はなくならない。愚痴を言うだけで、自分も何も変えていないことに、心のどこかでは気づいていた。

ある日、夫から「親は、どうすれば溺れずに済むかを、そもそも習っていないのでは」と言われた。川で遊ぶ時は下流に大人が立つ。私には当たり前だった知識が、誰にとっても当たり前ではない。その事実は大きな衝撃だった。責めるべきなのは知らない親ではなく、必要な知識が届いていない状況なのだ。自分が知っていることを近所の親へ話すだけでも、守れる命があるかもしれないと思った。

活動を始める前、複数の有識者へ相談すると、「人は集まらない」「収入にならない」「パートに出た方がいい」と止められた。実際、水難事故が起きる前から予防へ関心を持つ人はほとんどいなかった。それでも、必要性がなくなるわけではない。「そうなんですね」と聞きながら、やめる選択はしなかった。小さくても、自分にできることから始めよう。子どもの水難事故を予防するAQUAkids safety projectは、諦めの悪さと、一つの気づきから動き始めた。

PHASE7 活動初期 ― 参加者ゼロから、一人に届ける覚悟を学ぶ

親子カフェで開いた最初の水辺の安全講座は、参加者ゼロだった。止めてくれた人の言葉どおりになり、落ち込んだ。それでも今は、ゼロ人を経験して本当によかったと思っている。一人でも来てくれるなら、その一人のために必ず行く。一人の後ろには、家族や友人がいるかもしれない。最初から大勢が集まっていたら持てなかった、「目の前の一人を大切にする」という覚悟を、誰もいない会場で学んだ。

第2子を出産した頃、自治体の子育て広場へ参加者として通い、「水辺の安全について話させてほしい」と1か所ずつ頼んで回った。多くは年間予定が決まっていると断られたが、ある日突然、「今から5分だけなら」と機会をもらった。資料も準備もないまま必死に話し、質問があれば残ると伝えると、会場にいた約20組の親子が全員、私の前に並んだ。必要とされていないのではない。知る入口がなかっただけなのだと分かった。

その様子を見た担当者から、地域の子育て広場を回る機会をもらい、活動の最初の実績が生まれた。編集で培った「情報を整理する力」、苦手だった営業で覚えた「まず声をかける力」、水泳指導で身につけた「相手に合わせて伝える力」。遠回りに見えた経験が、ここで一つ残らず役立った。子育て広場からスイミングスクール、イベント、学校の授業へ。断られても訪ね続け、小さな接点を積み重ねながら、活動の輪を広げていった。

PHASE8 #サンダルバイバイから現在 ― 楽しく覚えた言葉で、命を守る文化をつくる

活動を始めて間もない頃、流されたサンダルを追いかけた小学生が溺れて亡くなる事故が、短い期間に2件続いた。泳力や特別な道具の有無ではなく、「追いかけてはいけない」と知っているかどうかが命を分ける。もっと早く、もっと強く発信していれば防げたかもしれない。その悔しさから、子どもにも一度で伝わる短い言葉を探した。SNSの投稿文を打つ中で、「サンダルが流されたら、追いかけずにバイバイしよう」が「#サンダルバイバイ」という合言葉になった。

言葉が広がると、ポスターを作りたい、歌にしたい、アニメーションや紙芝居にしたいと、専門家から次々に声が届いた。命に関わる内容を軽く扱わず、それでも子どもが怖がらず、楽しく覚えられる形にする。芸大で学んだ文章と表現、吹奏楽とバンドで知った音の力、仲間と一つのものをつくる経験が、すべてここでつながった。自分一人の作品ではなく、共感した人がそれぞれの技術を持ち寄り、アートの力で社会課題を解くプロジェクトへ育っていった。

現在はNPO法人AQUAkids safety projectとして、親子向け講座、学校・地域での授業、教材や動画の開発、救命に関わった人を支える情報発信を行っている。7月30日を「サンダルバイバイの日」とし、北海道から沖縄まで、すべての子どもがこの言葉を知ることを目指している。夢は、教科書に載り、家庭や学校で水辺の安全が当たり前に語られること。その未来を実現するために、私自身がこの言葉を伝え続けていく。たった一人に届いた言葉が、その先の家族や友人へ広がり、いつか一つの事故をなくすと信じている。

WORKS これまでの実績

NPO法人AQUAkids safety project 代表

水難事故予防キャンペーン #サンダルバイバイ 発起人

#サンダルバイバイ キッズデザイン賞受賞

#サンダルバイバイ 日本ネーミング大賞2024 優秀賞

親子・学校・地域向けの水辺安全講座、教材、動画を企画

障害者水泳支援の経験を生かした安全・共生教育

Private Q&A 一問一答
Q1. 人生で、大きな分岐点は何でしたか?

子どもを育てる中で水難事故の報道に触れ、夫婦で『知っていれば防げることがある』と話したことです。小さな親子イベントから始め、伝える活動を継続してきました。

Q2. あなたにとって仕事とは?

不安をあおるのではなく、子どもにも伝わる短い言葉と、家族で実践できる行動へ落とし込むことを大切にしています。楽しさと安全を両立する教育を目指します。

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