法的手続きの面から支えます
櫻場 沙季
Sakuraba Saki東京都
東京都
相続人や財産の調査、遺産分割に必要な書類、遺言書作成、終活の準備を支援しています。制度や書類の説明だけで終わらず、家族構成、これまでの関係、本人が残したい思いまで丁寧に確認。何から始めればよいか分からない不安を整理し、将来のトラブルを防ぎながら、家族が納得して次へ進める手続きを伴走します。
飲食店営業をはじめとする事業の許認可、在留資格、そのほか暮らしや事業に関わる行政手続きを支援します。現在の状況と今後の希望を確認し、必要な要件、書類、期限、選択肢を分かりやすく整理。行政とのやり取りや申請を伴走し、専門用語に迷うことなく、納得したうえで開業や新しい生活を始められるよう支えます。
法律や行政手続きを、問題が起きた時だけ専門家へ任せる難しいものではなく、日常の中で自分を守るための知識として伝えています。子どもや地域の人を対象とした講座と相談を通じて、困りごとが大きくなる前に気づき、相談先や選択肢を知る機会を提供。一人ひとりが自分と大切な人を守る判断力を育めるよう支援します。
埼玉県上尾市で、7歳上の姉と3歳上の兄がいる3人きょうだいの末っ子として生まれた。年の離れた姉と兄はそれぞれの時間を過ごしていたため、幼い頃は一人で遊ぶことが多かった。人前に出るのは苦手で、誰かの輪の中心に入るより、自分の中で静かに考える方が落ち着いた。算数や社会の仕組みを知ること、漫画やテレビの物語へ没頭することが好きだった。
小学校高学年頃に両親が離婚した。父があまり家へ帰らないことも、家族がそれぞれ別の方向を向いていることも、当時はそれが普通だと思っていた。離婚したことを十分に理解しないまま時間が過ぎ、姉も先に家を出ていった。家族の中で何かが決まっても、自分の気持ちはそこに含まれていないような、言葉にしにくい寂しさが残った。
家族と仲が悪いわけではない。ただ、互いの内面を語り合うことは少なく、一つの船に乗るというより、それぞれが別の船で同じ海を進んでいるような感覚だった。だからこそ、自分もいつかここを出て、自分で進む方向を選びたいと考えるようになった。一人で過ごした時間は孤独でもあったが、周囲の常識へ流されず、自分の頭で状況を整理する力を育ててくれた。
中学2年生の頃、突然、同級生たちから距離を置かれ、広い範囲に及ぶいじめを受けた。理由が分からないまま仲間外れにされ、言葉をぶつけられ、所属していた剣道部にも行けなくなった。剣道は初段まで取得していたが、好きかどうかとは別の事情で居場所を失った。仲良くしてくれる友人もいた一方、嫌な出来事の方が心の中で大きくなり、中学時代の記憶を覆っていった。
当時は、何をされたらおかしいのか、誰にどう伝えれば自分を守れるのか、そのための知識も言葉も持っていなかった。周囲と同じ行動を求められることにも、もともと息苦しさを感じていた。後になって法律を学び、子ども同士のことだからと片づけてよい行為ではなかったと分かった。知らなければ、自分が置かれている状況さえ判断できない。この経験が、後の法教育へつながる最初の原点になった。
高校は、中学時代の内申点ではなく試験を重視し、市外から通える学校を選んだ。そこには、生徒を頭ごなしに決めつけず、一人ひとりの違いを個性として受け止める先生たちがいた。誰か一人が私を嫌っていても、その人に合わせて周囲まで排除へ加わることはなかった。学校へ行くことが楽しくなり、「環境が変われば、人は自分を取り戻せる」と知った。安心していられる場が、人の可能性を守ることを実感した3年間だった。
子どもの頃からテレビが好きで、将来は番組をつくる人になりたいと思っていた。芸術系大学を受験したが合格できず、浪人する体力も気力も残っていなかったため、映像を学べる別の大学へ進んだ。大きなカメラを担いで撮影や取材を行い、映画やCMを手がけるポストプロダクションでインターンも経験した。憧れていた世界を、初めて現実の仕事として見ることができた。
一方で、映像の世界には圧倒的な才能を持つ人がいることを知り、長時間の制作現場を見て、自分がこの仕事を続ける姿を思い描けなくなった。家庭の事情や精神的な負担も重なり、大学は途中で退学した。夢をかなえられなかったというより、向かう先が見えないまま、手にしていた道を離したような感覚だった。積み重ねてきたものが、いったん途切れたように感じた。
その頃、高校時代のアルバイト先で出会った夫との交際が続いており、21歳で結婚した。結婚を機に、夫の仕事の都合で石川県へ移った。映像の仕事を目指して東京で暮らしていた自分から、まったく違う土地で家庭を築く自分へ。人生は予定していた方向から大きく変わった。それでも、映像を学んだ時に身につけた「相手へ何をどう伝えるか」という視点は、後に法律を分かりやすく届ける仕事の中で生きることになる。
結婚後すぐに第1子を授かったが、つわりがひどく、石川県で迎えた冬は記録的な大雪だった。家から出られない日が続き、知り合いも少ない環境で心身ともに苦しくなり、妊娠中に一人で関東へ戻った。夫の勤務先が事情をくみ、ほどなく夫も関東へ戻ることができたが、仕事をしていない自分は、社会から切り離されていくような感覚を抱えていた。
出産が近づくにつれ、「このまま社会復帰できないのではないか」という不安が大きくなった。子どもに関する手続きを自分で行う中で、暮らしのあらゆる制度が法律に基づいているのに、自分は何も知らないことにも気づいた。家で独学でき、働き方へつなげられる国家資格を調べ、行政書士を目指すことを決めた。法律を仕事にしようという長年の夢ではなく、未来を自分の手でつなぎ直すための選択だった。
長男が生後3か月を過ぎ、夜に少しまとまって眠るようになった頃から勉強を始めた。試験は年に1度。想像以上の範囲と難しさを前に、「今年受からなければやめよう」と期限を決め、育児の隙間へすべてを注いだ。法律を初めて学ぶところからの挑戦だったが、模試を除いてほぼ独学で勉強を重ね、その年の試験に合格した。自信を失いかけていた時期に、自分の力でつかんだ最初の確かな足場になった。
資格取得後、2人目の子どもを望んだが、思うように授からず、不妊治療も経験した。予定していた社会復帰の時期は延び、ようやく次男を出産した後、生後間もないうちに全国へ拠点を持つ行政書士法人へ入った。試験に合格したからといって、実務ができるわけではない。相続を中心に、膨大な件数を抱えながら、毎日が新しい勉強の連続だった。
職場には時短制度もリモート勤務もなく、幼い2人を育てながらフルタイムで働いた。途中から時間給の契約へ変えてもらったものの、長時間労働は続いた。「働く母親とは、こういうものなのだ」と自分へ言い聞かせたが、身体も気持ちも限界に近づいていた。約2年が過ぎ、さらに勤務時間を減らすか、退職するかを考え、上司との面談へ臨んだ。
そこで、育児の大変さを理解していると言われたものの、話を聞くほど、その人自身は日常の育児を担っていないことが分かった。悪意はなくても、この環境では自分の苦しさは本当の意味で理解されない。その瞬間、退職しようと心が決まった。専門職として経験を積みたい気持ちはあっても、家庭か仕事のどちらかを削り続ける働き方は続けられない。自分と家族を守れる別の形を探す必要があった。
もともと、人前へ出て自分で事業を率いるタイプではなく、起業したいと思ったこともなかった。けれど退職すれば、子どもたちの保育園を利用する資格も失う。行政書士に特化した求人は少なく、ようやく得た専門性を手放したくもなかった。さらに前職との取り決めで、退職後1年間は勤務していた埼玉県内で開業できなかった。選択肢を一つずつ検討した先に、東京都豊島区で自分の事務所を登録する道が残った。
営業経験もなく、周囲に起業家もいない。何から始めればよいか分からず、とにかく人と会える場所へ出向いた。行政書士会の豊島支部で出会った先輩たちが力を貸してくれ、1人、2人と信頼できる人が増えるにつれ、紹介と仕事がつながり始めた。1年目は分野を絞らず、車両登録、ドローン、在留資格、各種許認可など、依頼された仕事へ一つずつ向き合った。
独立すれば楽になるわけではなかった。夜の会合へ出にくく、人と会う時間も、実務の時間も足りない。それでも、働く時間と場所を自分で組み立てられることは大きかった。開業直後で収入実績がない中、保育園を継続するために必要な証明を役所へ一つずつ確認した経験からも、「会社員でなければ働けないわけではない」と知った。起業は特別な人の夢ではなく、暮らしを守りながら働くための現実的な選択肢になり得る。
独立2年目、不動産会社の経営者との縁から相続の依頼を受ける機会が増えた。前職で多くの相続実務を経験していたことに加え、書類だけではなく、相談者と直接話しながら物事を進めることにやりがいを感じた。相続には、亡くなった後の手続きだけでなく、家族が積み重ねてきた時間と感情がある。人と人として丁寧に向き合えるこの分野を、自分の中心にしようと腹をくくった。
現在は、相続・終活と、許認可の中でも特に好きだった飲食店開業支援を2本柱にしている。終活では、人生の終わりへ向けた準備としてではなく、これまでを振り返り、家族へ何を伝え、これから何をしたいかを考える「人生の棚卸し」として話を聞く。海外在住や外国籍の相続人が関わる案件など、複雑な事情にも、他の専門家と連携しながら一つずつ道筋をつけている。
飲食店の支援では、大きなチェーンではなく、自分の店をこれから始めたいという個人や小規模事業者からの相談が多い。夢を形にする開業と、大切な人の歩みを次へ渡す相続。方向は違って見えても、どちらも人生の大きな節目に立つ人を支える仕事だと思っている。制度を説明して終わるのではなく、相談者が納得して次の一歩を選べるよう、身近な窓口として伴走していく。
行政書士として活動する中で、中学校で法教育を携わり、士業向けの勉強会でも子どもに関わる法律を取り上げるようになった。かつて自分がいじめを受けた時、それが許されない行為だと判断する知識も、助けを求める言葉も持っていなかった。子どもだから仕方がないと済ませるのではなく、何が起きていて、何に気づき、どう考えればよいのか。その入口を一つでも届けたいと思っている。
法律は、問題が起きてから専門家だけが使うものではない。自分や誰かを守り、選択肢を知るための道具でもある。子どもたちが早い段階から社会のルールへ触れれば、困った時に「これはおかしい」と気づき、相談先を探せるかもしれない。自分の経験を直接語ることが目的ではなく、同じように言葉を失う子を一人でも減らすこと。その思いで、利益とは別の活動として法教育を続けている。
もう一つ伝えたいのは、子育て中の働き方にも多くの道があることだ。会社員になるか、仕事をあきらめるかの2択ではない。自分は特別な起業家ではなく、働き続ける必要に迫られて、小さな個人事務所を始めた一人の母親だ。だからこそ、起業を目指していない人にも「こういう方法もある」と知ってほしい。法律と実体験の両方から、子どもにも大人にも、自分の人生を選び直せる知識と選択肢を届けていく。
子育てをしながら行政書士試験へ挑戦し、合格後に相続分野の実務を積んだことです。家庭と仕事のどちらも大切にしながら、自分の価値観に合う支援を届けるため独立を決めました。
手続きを進める前に、相談者が何を不安に感じ、どんな未来を望んでいるかを丁寧に伺います。専門用語を分かりやすく伝え、選択肢を一緒に整理することを大切にしています。
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