不安に寄り添う。
なごみ
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妊娠中の身体の変化、出産準備、産後の暮らしや育児について、助産師の専門知識と臨床経験を日常の言葉へ翻訳して発信しています。不安をあおらず、自分で納得して選ぶための情報を大切にし、記事監修、取材協力、企画への情報提供を通じて、正確な知識と当事者の声が社会へ届くメディアづくりにも協働しています。
授乳、睡眠、赤ちゃんとの関わり方、産後の心身の変化など、一人では整理しにくい悩みを丁寧に受け止めます。「医療機関へ相談するほどではない」とためらう気持ちにも寄り添い、状況と選択肢を一緒に整理。必要な場合には、地域の相談窓口や医療機関など、適切な支援へ安心してつながれるよう橋渡しします。
周産期医療とNICU・GCUを含む新生児ケアの臨床経験をもとに、赤ちゃんの小さな変化と家族の気持ちの両方へ目を向けた支援を行っています。医療的な説明を一方的に伝えるのではなく、家族が状況を理解し、できる範囲でケアへ関われるよう対話を重ね、赤ちゃんと家族が新しい生活へ進むための安心を支えます。
兵庫県の団地で、2歳下の弟とともに育った。小学3年生の頃に両親が離婚し、介護士として夜勤もこなす母との3人暮らしが始まる。家の中はいつも明るかったが、本当は寂しがり屋。母の帰りを待つ夜もあった。
そんな心細さを和らげてくれたのが、団地の人たちだった。同世代の子どもたちと自由に遊び、困った時には近所の大人が声をかけてくれる。母がつらさを抱えていた時、様子に気づいた近所の女性が訪ねてきて、話を聞いてくれたこともあった。
「家族だけで抱えなくてもいい。誰かが気づいてくれるだけで、人は少し救われる」。幼い頃に肌で知ったその安心感が、今の活動の原点になっている。
勉強は苦手だったが、絵と音楽は大好きだった。鉛筆を握ると、勉強をするつもりでもいつの間にか漫画の模写を始めてしまう。言葉にしにくい気持ちを、色や線なら素直に表せる気がした。美術だけは、好きという熱意ごと評価してもらえる大切な場所だった。
一方、小学校高学年から10代にかけては、母とぶつかることも増えていった。働く母を支えるため、家事を担わなければならないことは分かっている。それでも、同世代の友人のように自由でいたい気持ちもあり、思うようにできない自分への苛立ちもあった。
大切だからこそ、素直になれない。そんな葛藤を重ねた経験が、表に出る言葉だけで人を決めつけず、その奥にある事情や感情を想像する姿勢へとつながっていった。
高校では、再びバレーボール部へ。強豪校で指導してきた監督のもと、髪を短く刈り上げるほど部活動に打ち込んだ。けれど、自身の運動能力は「そこそこ」。試合に出続ける中心選手ではなく、補欠として過ごす時間が長かった。
それでも任されたのは、キャプテンだった。チームには高い技術を持つ選手がいる一方、練習から逃げてしまう仲間もいた。自分がプレーで先頭に立てない中、どうすればそれぞれの力を一つにできるのか。悩みながら声をかけ、チームを支え続けた。
リーダーとは、いちばん目立つ人ではない。誰かを無理に引っ張るのではなく、一人ひとりを見て、その人が力を出せるように場を整える人なのだと知った。この経験は、後に家族全体を見守る助産師としての姿勢にも重なっていく。
看護師を意識し始めたのは、小学生の頃だった。介護士として家族を支える母の姿と、両親の離婚を身近に経験したことで、将来もし自分が一人で子どもを育てることになっても、生活を守れる専門性を持ちたいと考えるようになった。
さらに、世界で活動する助産師を紹介するテレビ番組に触れ、周産期医療への関心が深まっていく。「命の始まりに、もっと専門的に関われる人になりたい」。ぼんやりしていた願いが、助産師という具体的な目標へ変わった。
しかし、高校時代は部活動中心で、成績には自信がなかった。母や学費を支えてくれる祖母の思いを無駄にしたくない。その一心で、部活動引退後の半年間、視力が大きく落ちるほど勉強に打ち込み、看護大学への合格をつかんだ。
看護大学での日々は、人生で最も楽しかったと感じるほど充実していた。一方、産科での実習は、厳しい指導の連続。助産師という仕事に憧れながらも、その厳しさに気持ちがくじけそうになり、「この道へ進めるだろうか」と揺れた。
それでも、初めて出産に立ち会った瞬間、迷いを越える感情が胸に押し寄せた。人から人が生まれる。その光景を前に、理由もなく涙があふれた。小さく脆い命が、できる限り良い人生のスタートを切れるように支えたい。大変でも、若い今なら挑戦できる。そう覚悟が決まった。
看護師資格の取得後は、さらに1年間、助産師になるための専門課程へ進学。誕生の喜びだけでなく、流産や死産などの喪失を経験した方の心も支えられるよう、グリーフケアを学べる環境を選んだ。喜びにも悲しみにも寄り添える助産師を目指した。
卒業後は、周産期医療を担う病院へ。憧れて入った現場だったが、1、2年目は厳しい人間関係と緊張の連続だった。もともと気持ちが強い方ではなく、注意を受けるたびに深く落ち込み、「もう辞めてしまおう」と何度も思った。
それでも3年ほど続けるうちに、少しずつ見える景色が変わっていった。周囲の評価に精一杯だった自分が、目の前の妊産婦や家族の気持ちへ意識を向けられるようになった。知識と経験が増えるほど、相手の不安を受け止め、一緒に考えられることにやりがいを感じるようになった。
その後はNICU・GCUでも、医療的なケアを必要とする赤ちゃんと家族に向き合う。わずかな変化がその後の発達に影響することもある、小さく脆い命。安全を守る専門性と、家族が置き去りにならないための対話。その両方を大切にしてきた。
2人の子どもを育てながら臨床を続ける中で、病院だけでは支えきれない時間の長さを、あらためて意識するようになった。妊婦健診には時間の枠があり、出産後の入院もわずか数日。頼れる人や相談相手がいないまま、育児へ戻っていく家族もいる。産後に命を絶つ方の背景に、孤立や支援の不足があると知るたび、「もっと早く話せる相手がいたら、結果は違ったかもしれない」という思いが募った。
そこで、オンライン助産相談を立ち上げた。半年ほどの活動で、利用者からは「相談できてよかった」という声が届いた。しかし同時に、料金が入口の壁になる現実にも直面する。悩みが深い人ほど、経済的な負担から一歩を踏み出せない。事業として成立させるために価格を上げる方向と、できるだけ利用しやすくしたい自身の思いとの間に、次第にずれが生まれていった。
悩んだ末、サービスはいったん休止した。それは支援を諦めたからではない。本当に必要な人へ無理なく届く形を、もう一度探すための決断だった。
現在も現役の助産師として働きながら、「なごみ」の名でSNS発信を続けている。投稿するのは、臨床で出会う家族の姿を、個人が特定されないよう丁寧に編集したエピソード。出産直後で反論する力さえ残っていない母親に代わり、時には少し辛口な言葉で、本人が飲み込んだ本音を伝える。読んだ人が少し笑い、胸のつかえを下ろせることを願っている。
フォロワーが1万人を超えると、商品紹介の依頼も届くようになった。それでも、利益のために必要のないものまで勧めることはしたくない。専門職としての誠実さと、子育てをする人にとって本当に役立つかどうかを、発信の軸に置いている。
目指しているのは、幼い頃に団地で感じたような、「誰かが気づき、声をかけてくれる」つながりを、今の時代に合う形で取り戻すこと。地域で眠っている助産師の力、行政の支援、オンラインの相談窓口を結び、妊娠や育児に向き合う人が孤独にならない仕組みを育てたい。原点にある団地の温かさを、次の家族へ手渡すために、模索を続けている。
産後、自分自身も孤立や不安を感じたことです。支援する側であっても助けを求めにくい現実を知り、医療機関の外にも安心して相談できる入り口が必要だと考えるようになりました。
相手の選択を決めつけず、まず気持ちと状況を受け止めることを大切にしています。医療情報を生活の言葉へ翻訳し、その人が納得して選べるよう支えます。
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