Profile
心と身体の声に耳を澄まし、その人らしい健やかさを育てる。
ayurveda.spa.avalon/HACCO BISYOKU LABO

勝田 麻衣子

Katsuta Maiko

アーユルヴェーダセラピスト

埼玉県

MESSAGE 私の想い
美容師、子育て、家族の介護、自身の体調不良。さまざまな経験を通して気づいたのは、外見の美しさと心身の健やかさは切り離せないということでした。症状が現れてから対処するだけでなく、日々の食事や休息、自分の身体を知ることから未来は変えられる。その思いが、現在の活動の軸になっています。 アーユルヴェーダとの出会いは、自分自身を立て直す大きな転機でした。体質や生活に寄り添う知恵を学び、実践する中で少しずつ本来の感覚を取り戻しました。サロンでは施術だけでなく、食事、女性の身体、心のあり方まで丁寧に伺い、一人ひとりが自分に合う整え方を見つけられるよう伴走しています。 また、幼い頃から身近に障害やケアがあった経験を原点に、支援活動にも取り組んでいます。美容と健康を入り口に、人が孤立せず、互いの違いを受け止めながら支え合える社会をつくること。それが私の目指す未来です。
ACTIVITIES 活動内容について

アーユルヴェーダ施術

体質や季節、その日の心身の状態を丁寧に確認し、アーユルヴェーダのオイルトリートメントと対話を組み合わせた施術を提供しています。表面的な疲れだけを整えるのではなく、身体と心の声へ静かに向き合い、その人が本来持つ健やかさと心地よいリズムを取り戻せる時間を大切にしています。

女性の予防美容・食習慣サポート

年齢やライフステージによって変化する女性の身体に寄り添い、食事、睡眠、運動、身体の扱い方を一緒に整理します。発酵の知恵も日々の食事へ取り入れ、特別な材料や難しい方法に頼らず、家庭で無理なく続けられるセルフケアと食習慣を、講座や個別相談を通じて提案しています。

美容と健康を生かした社会貢献活動

障害のある方や子ども、その家族に寄り添う支援活動へ継続して参加しています。美容と健康に関する専門性を、限られた人のためのサービスではなく、心身を整え、自信や笑顔を取り戻す機会として社会へ還元。一人ひとりの違いが尊重され、無理なく支え合える地域と社会づくりを目指しています。

MY STORY 私の物語
PHASE1 幼少期 ― 離れて暮らす寂しさと、いくつもの家族に育てられて

物心がついた頃には両親は離婚し、一人っ子の私は母と2人の家族になっていた。けれど、仕事を持ち、自分の人生も大切にしていた母に代わって、幼い私を育ててくれたのは母の姉夫婦だった。3歳頃までは東京の叔母夫婦のもとで、その後は小学校へ上がる頃まで山形に住むもう1人の叔母夫婦のもとで暮らした。私にとって叔母たちは、もう1人、もう2人の母と呼べる存在だった。

たくさんの愛情を受けた一方で、家から家へ移るたびに、「ここで迷惑をかけてはいけない」と周囲の顔色をうかがっていた。誰かに思いきり甘えるより、今の自分に何が求められているのかを先に考える。寂しさを言葉にできないまま、人の空気を読み、気を遣うことが身についていった。それでも人を嫌いにはならなかった。むしろ、自分を頼ってくれる人がいると、ここにいていいのだと思えた。

叔母の家の食卓には、いつも料理が何品も並んでいた。言葉にしなくても、手をかけることで「あなたを大切に思っている」と伝えられる。その温かな景色は、今の私の家庭や、食を通じた活動にも受け継がれている。複雑に見える幼少期だったが、いくつもの家庭から異なる形の愛を受け取ったことが、人の背景を一つの物差しで決めつけない私の原点になった。

PHASE2 小学生時代 ― 障害を特別視せず、支えることが日常になる

私が3歳頃、最初に育ててくれた叔母夫婦に男の子が生まれた。弟のように育ったその子には重いてんかんがあり、発作はいつ起こるか分からなかった。小学校へ上がって母と暮らし始めてからも、同じマンションに住む叔母の家へ通い、一緒に遊び、発作が起きれば教わった通りに対応した。障害のある人を遠くから見るのではなく、笑い合い、食卓を囲み、支え合うことが、私にとっての日常だった。

叔父と叔母が繰り返し口にしていたのは、「自分たちがいなくなった後、この子はどうなるのだろう」という不安だった。本人を愛しているからこそ、親亡き後の暮らしまで思い悩む。その言葉をそばで聞きながら、支えを必要とする本人だけでなく、生活を守り続ける家族もまた、孤独や緊張を抱えていることを知った。子どもながらに、誰か一人の問題ではなく、周囲も含めて支える必要があると感じていた。

やがて私は叔父と叔母を看取り、弟のような彼は現在、施設で暮らしている。長い時間を経ても心に残るのは、障害そのものより、彼を中心に家族がつながっていた記憶だ。困っている人を見た時に放っておけないことも、その人の家族へ自然に目が向くことも、この暮らしの中で育った。現在、障害のある方や家族を支える活動に関わるのは、特別な使命を後から見つけたからではない。幼い頃から続いてきた、生き方の延長にある。

PHASE3 小学3年生から10代 ― 母を喜ばせたい、その思いが美容の道を決めた

小学3年生の頃には、母の髪を巻き、白髪を抜き、着物の帯まで結んでいた。一緒に美容室へ行って手順を覚え、「これをしてあげたら母が喜ぶ」と考えては、自分の手で試していた。忙しく、十分に甘えることのできなかった母に近づく方法が、私にとっては美容だったのだと思う。母の表情が明るくなることがうれしかった。「母に喜んでもらうことが、私の愛だった」。美容師を志した原点は、そのまっすぐな思いにある。

小学校の卒業文集にも、将来の夢は美容師と書いた。早く自立し、一人でも生きていけるようになるには、手に職をつけた方がいい。甘えることを知らずに育った分、進路を決めるのも人より早かった。中学ではバレーボール部に入りながらも、集団で誰かの悪口を言うような空気にはなじめず、一人でいることを恐れなかった。人に合わせるより、自分が納得できる道を選ぶ。その姿勢は、後の決断にもつながっている。

高校卒業後は迷わず美容学校へ進み、40~50人ほどの中で1、2位を争う成績を収めた。在学中から美容室で働き、2年目には髪のセットを任されるようになった。卒業後に勤めた世田谷の店では、「3年で店を持たせてやる」と声をかけてもらうほど、技術を評価された。17歳頃からは、幼い頃からなぜか心を引かれていたインドの伝統医学、アーユルヴェーダも独学で学び始めた。美容と心身の健康は、この頃から私の中で静かにつながり始めていた。

PHASE4 美容師・結婚期 ― 夢の形を変えても、学びの火を絶やさない

美容師として腕を磨き、自分の店を持つ未来が見え始めた頃、母の体調が悪くなった。「一緒に来てほしい」と頼まれ、私は世田谷を離れて埼玉県岩槻へ戻った。自分の夢をあきらめたというより、母を支えることを選ぶのは当時の私にとって自然なことだった。埼玉でも美容師を続け、22歳で結婚。やがて1男2女、3人の子どもの母となった。

2人目の出産後からは専業主婦となり、家族を中心に暮らした。けれど、美容への思いが消えることはなかった。子育ての合間に、フェイシャル、皮膚の構造、栄養などを学び、友人を家へ招いてマッサージをする。仕事の現場を離れていても、学ぶことまでやめたくはなかった。髪や肌の表面を整えるだけでなく、食事や生活から身体の内側を整えることへ、関心は少しずつ広がっていった。

30代後半で第3子を授かった時、妊娠に気づかないまま富士山に登り、薬も服用していたため、お腹の子への不安は大きかった。その一方で、私を育ててくれた山形の叔母の命も終わりに近づいていた。妊娠9か月で叔母を見送り、その後、無事に娘を出産した。大切な人を見送り、新しい命を迎える。喜びと悲しみが同時に押し寄せる経験を通して、命は自分の思い通りにはならないからこそ、今そばにいる人を大切にしたいという思いが深まった。

PHASE5 30代後半 ― 出産・病気・介護が重なり、笑顔を失う

第3子の出産後、ホルモンバランスの変化や大きなストレスが重なり、バセドウ病を発症した。1週間で8キロも体重が落ち、目を閉じることさえ難しくなった夜は、まぶたを固定して眠った。「このまま死んでしまうのではないか」という恐怖の中で治療が始まった。ところが同じ頃、今度は母が更年期の時期にうつを発症する。3人の子育て、自分の闘病、母の介護が一度に重なった。

食事を取る力が弱っていく母のために、栄養を考えた3食を用意し、刻み食からミキサー食へと状態に合わせて工夫した。自分の身体もつらかったが、「食べられないのだから、私がやるしかない」と動き続けた。母の症状が進み、同じ訴えを何度も繰り返すようになると、幼い子どもの世話をしながら優しい言葉をかけ続ける余裕は失われていった。介護は、愛しているだけでは乗り切れない現実でもあった。

約3年の介護の末、母は治療中に体調が急変し、65歳で亡くなった。最後に「ありがとう」を伝えられなかったことが、胸に深く残った。大好きだった母を失った悲しみと後悔、自分の病気による苦しさから、私自身もうつ状態になり、生きる力を手放したくなるほど追い詰められた。それでも、乳飲み子を含む3人の子どもがいる。生きなければならない気持ちと、もう動けない心の間で、出口の見えない日々が続いた。

PHASE6 40歳前後 ― 娘のひと言が、暗闇に差し込んだ光

当時の心の中は、真っ暗な空間に針の穴ほどの光だけが見えているようだった。そこへ向かって毎日走っているのに、決してたどり着けない。そんなある日、真ん中の娘が私の顔を見て言った。「ママ、最近笑わないね。久しぶりにママの笑顔が見られてうれしい」。笑っているつもりだった私は、その言葉で初めて、自分が長い間、笑顔を失っていたことに気づいた。心を覆っていた硬いガラスが、音を立てて割れるような瞬間だった。

「もう一度、生きてみよう」。そう思っても、急に元気になれたわけではない。まずは2時間だけ子どもを預け、東京駅で受けられる耳つぼの講習へ出かけた。スポーツクラブにも通い、できることを一つずつ増やした。一方で、薬で症状を抑えると身体が動かず、エステ、マッサージ、整骨院、温浴などを試しても楽にならない。自分の身体に合う方法を探す中で、17歳から学び続けてきたアーユルヴェーダを思い出した。

インターネットで施術者やオイルの背景まで調べ、信頼できると感じた横浜の先生を訪ねた。子どもを預けられるのは1週間だけ。「その1週間で、きちんと身につけたい」と頼み込み、埼玉から毎日通った。施術を学び、自分もモデルとしてケアを受けるうちに、少しずつ身体が動く感覚が戻ってきた。回復とは、以前の自分へ無理に戻ることではない。心身の声を聞き、その日の自分に必要なものを選び直すことなのだと、身をもって学んだ。

PHASE7 起業期 ― 自分を整えるための学びが、求められる仕事になる

学んだ施術は、初めは自分の身体を整えるためのものだった。ところが、変化に気づいた友人から「何をしているの」と聞かれ、頼まれるまま一人、また一人と施術するようになった。道具を抱えて相手の家を回るうちに希望者が増え、家族が所有していた建物の空き部屋を使わせてもらうことになった。サロンを開こうと計画したのではない。自分に必要だったケアが、同じように苦しむ人へ広がり、気づけば仕事になっていた。

口コミが広がると、1年ほどで一軒家を丸ごとサロンにした。施術室だけでなく、広いダイニングで食事を伝え、美容師として頭や髪のケアもできるよう、駐車場を改装して美容室を設けた。髪、肌、食、心、身体を別々に扱うのではなく、一人の人間として丸ごと支えたい。幼い頃から学び、経験してきたことが、一つの場所で結びついていった。治療とセルフケアを重ねる中で私自身の体調も少しずつ落ち着き、40歳前後で本格的な起業へ踏み出した。

開業から2年ほど経つと、本場で確かめたいという思いからインドへ向かった。お客様一人ひとりの状態を記した資料を持ち、英語が十分に話せなくても、現地の医師や専門家へ懸命に質問した。その後も学びを深め、インドの知恵をそのまま当てはめるのではなく、日本人の体質や食文化、生活に合わせて届ける方法を探してきた。事業が育つ一方で、その後は離婚も経験した。生活のすべてを自分で引き受ける覚悟は必要だったが、責任とともに自分の人生を選び直した経験が、今の自立した働き方を支えている。

PHASE8 現在 ― 「生きていることは当たり前ではない」を、次の世代へ

現在はプライベートサロンで、長く通ってくださる方を中心に施術している。アーユルヴェーダを軸に、発酵食を含む食習慣、フェミニンケア、予防美容・予防医学の視点を組み合わせ、不調が深くなる前に自分をいたわる方法を伝えている。大切にしているのは、誰かに合った正解をそのまま渡すことではない。体質、年齢、季節、生活背景を丁寧に見ながら、その人が無理なく続けられる整え方を一緒に探すことだ。

活動はサロンの中だけにとどまらない。インドで、裸足で暮らし、短くなった鉛筆を大切に使う子どもたちと出会ったことをきっかけに、使いかけのノートや文房具を届けることから社会貢献を始めた。現在は、さい帯血や幹細胞に関する支援団体の活動、脳性麻痺など障害のある方の挑戦を応援する取り組み、カンボジアで子どもを支える活動にも関わっている。支援される人として見るのではなく、一人ひとりが夢を描き、挑戦できる伴走者でありたいと思っている。

幼い頃の寂しさ、障害のある家族との暮らし、美容師としての技術、3人の子育て、自分の病気、母の介護と別れ。振り返れば、どの経験も今の活動につながっている。一度、生きる力を失いかけたからこそ、今ある時間を誰かのために使いたい。「生きていることは当たり前ではない」。温かい食事を囲めること、笑い合えること、今日を迎えられたことへの感謝を伝えながら、誰もが自分の命を大切にし、次の一歩を踏み出せるよう支え続けていく。

WORKS これまでの実績

アーユルヴェーダプライベートサロン運営

発酵食と食習慣を通じた健康サポート

女性のライフステージに寄り添う予防美容・セルフケア提案

美容師・フェイシャル・栄養分野で培った経験を統合した個別支援

障害者・子ども・家族を支える社会貢献活動

Private Q&A 一問一答
Q1. 人生で、大きな分岐点は何でしたか?

第三子出産後に体調を崩し、家族との別れも重なった時期に、アーユルヴェーダと出会ったことです。自分の身体と心を丁寧に見つめ直し、予防という視点から健康を支える道へ進みました。

Q2. あなたにとって仕事とは?

正解を押しつけるのではなく、その人の体質、暮らし、気持ちを丁寧に伺うことを大切にしています。小さく続けられる方法を一緒に見つけ、自分で自分を整える力につなげます。

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